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シルヴァ・サーガII
Silva Saga 2
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Publisher: セタ (Seta) | Release: 1993.06.25 | SHVC-S8
シルヴァサーガ秘話
「シルヴァ・サーガ」の舞台であるミネルバトンの世界、これが産声を上げたのは、思いおこせば10年前のとある日のことだった。 そのころぼくは、FM-7というパソコンで、T&Eソフトの「惑星メフィウス」というアドベンチャーゲームを遊んでいた。 そして「これなら自分にも作れるかもしれない」と、アホといおうか大胆といおうか、 ともかく軽い気持ちで、せこせことアドベンチャーゲームを作り始めたわけだ。 そして3ヶ月後、そのゲームはなんとか完成し、「暗黒城」という名で株式会社エニックスから市販された。 いまとなっては、なんともチャチな作りかたで見るのも恥ずかしいゲームだけど、 ともかくこれがミネルバトン世界のデビューの瞬間であり、そして延々と今日まで続いている「シルヴァ・サーガ」シリーズの、 本当にささやかな始まりだったのだ。いやー、なつかしいなー。 そして「シルヴァ・サーガ」シリーズの第2弾が発売されたのは、それから4年後、タイトルもそのものズバリ「ミネルバトンサーガ」。 これはファミコンのRPGで、株式会社タイトーから発売された。 本当はその前に「暗黒城2」の企画もあったのだけど、そのころにはアドベンチャーゲームはもう下火になっていて、 「暗黒城2」もその余波をモロに受け、とうとう幻の作品になってしまったのだ。 こっちはてっきり出すつもり(グラフィックまで描いた)だったから、ボツになったのはものすごく悲しかった(涙)。 そして去年になってから、株式会社セタで発売したファミコン版「シルヴァ・サーガ」、 今度のスーパーファミコン版「シルヴァ・サーガ2」、さらにはアスキーの雑誌「ログアウト」で連載した小説や、コミック版の新連載など、 まるで「暗黒城2」ボツ事件のウップンを晴らすように、ミネルバトン世界はとめどもなく広まりを見せつつある。 また、かつてのミネルバトンサーガの物語も、もう一度リメイク&コミック化したうえで、 「ゲームコミックコレクション」という本に連載されることになった。ここまできたら止まりませんがな(笑)。 でも……これらすべての物語が、じつは「暗黒城」を作ったときに、すでにぼくの頭の中に存在していたと言ったら、みんなは信じてくれるだろうか? 実のところ、「暗黒城」の物語こそが「シルヴァ・サーガ」全体の最終章であり、 すべての物語は(今後発売される「シルヴァ・サーガ」シリーズすべての作品も含めて)そこにむかってひたすら突き進んでいるといったら…… でも、これは本当のことなんだ。天地神明に誓って、絶対にウソじゃない。 最初の作品が完結編だというのは、じつは作っているぼくも驚いたくらいだ。 でも世界のすべてが輪廻する存在であれば、これもまたふさわしい終わりであり、また始まりなのかもしれない。 それがわかっていたからこそ、「暗黒城」はプロローグでありエンディングでもある物語として、この世に最初に登場しなければならなかったのだ。 ところで「シルヴァ・サーガ」の物語というのは、 光の神々と闇の神々が、たがいにミネルバトン世界を奪いあうという、非常にシンプルな寓話らしきものとして存在している。 難しい理屈も政治も経済も、ファンタジーに不可欠な完璧な世界設定もない。 でもそれは、ぼくが手を抜いたからではなく、「もともとそうなっていた」としかいいようがないんだ。 だからこれからも、こまごまとした生活習慣とかは出てきても、大きな世界の構造とか、 「世界はかくあるべきだ」といった必然性などは出てこないと思う。 すべてが神任せのまま、ただひたすら"ビッグバン"という名の終末へと流れていくにすぎない。 でも、その終末ービッグバンには大きな意味がある。 ビッグバン起こす原因となるのは、世界を造る鏡「ラ・バルの鏡」が破壊されることなのだけど、 その鏡をめぐって、ミネルバトンでは神々同士の最後の決戦が行なわれるのだ。 そしてその勝者が、のちに起こるビッグバン後の世界の支配者となり、 その世界すべての創造者となる(ビックバン後の世界とは、いまぼくらの住んでいる、この宇宙のことだ)。 そしてこの宇宙が終わるとき、ふたたび忽然とミネルバトン世界が現れる。 つまり光と闇の神々は、永遠のサイクルを描きながら戦っているのだ。 どうだろう、ここまで書くと、じつは壮大な話だとは思わないか? そして壮大な話であればあるほど、世界は必然的にシンプルになっていく。 なぜなら、ほとんどの世界設定というのは、人間の生活にのみ必要なものだからだ。 時間という概念ですら、人間以外には必要ない。 陽が昇り、そして沈む。季節がめぐる。それだけだ。つまり、そういうわけ。 このミネルバトン世界は、異次元もふくむ、全宇宙のすべてを貫いている存在だ。 現在も過去も未来も、すべては世界の輪廻に含まれる。 当然ながら、ぼくの作った他の作品である「ガデュリン」シリーズもまた「シルヴァ・サーガ」のアウト・ストーリーというわけ。 あそこにもズールが出てきたのは、じつはこんな理由があったのだ。 もちろん地球に出現するあらゆる神々もまた、ミネルバトン世界におおもとがあるわけだし、 いわゆる悪魔や魔族や魑魅魍魎なども、かつてのズールの生き残りにすぎない。 人の魂が輪廻転生するのも、もともと世界全体が輪廻しているから、あたりまえと言えばあたりまえのことなのだ。 すべてを包みこんでいるからこそ、なんでもアリの世界、それがミネルバトンというわけね。 ところでミネルバトンの世界では、闇の帝王ズールと光の創造神ハーンのもと、無数の神々や魔獣とともに、人間もまた生きている。 ズールとハーンは、この世界の法則とか秩序とかいった存在であり、いわば「エネルギーそのもの」といった感じのものだ。 だからこの両者は、完璧になーんにもしない。 引力とかエネルギー保存則とか、いわゆる「物理法則」というものは、この世に確実に存在するけれど、けっして人間に語りかけることはしない。 こんなことは誰だって知っている、あたりまえのことだ。 それと同じように、ズールとハーンも、いないと大変だけど、いるからといって人間にアクセスしてくるようなことはない。 しかし、その両者のエネルギーによって生みだされた「ズールの五大王子」とか「光の諸神」というのは、人間にガンガン近づいてくる。 しかも彼らは、ぼくらと同じように考える心を持っている。 というより、光の神々や闇の神々につながるエネルギーの、いちばん端っこにいるのが人間なんだから、 この世界では、神々と人間とは別物ではないといったほうが正しいだろう。 それどころか、光の戦士となった人間は、神々をも支配できる力を身につけてしまう。 光の戦士だけが闇の王子を倒せるのも、その力があるせいだ。それらはすべて、エネルギーの強弱によって決められる。 つまり人間は、心の持ちようによっては、諸神やズールの王子よりも、大きくて広い「エネルギーを入れる器」を持つこともできるということだね。 だから「シルヴァ・サーガ」の物語は、ただたんにバケモノを倒すだけのファンタジーではない。 たしかに、ズールの波動によって生まれたドラゴンや魔神はいる。 そして光の戦士は、ことごとくそれらと戦う運命にある。でも、けっしてそれらを倒すことが目的というわけではないんだ。 この物語は、人間というちっぽけな存在が、 心の持ちようによっては、いつしか神をも超える存在になることができるという、魂の成長の物語だ。 人間の苦悩と愛、出会いと別れを描いた、真の「成長物語」にほかならない。 これこそが、この「シルヴァ・サーガ」のテーマなんだ。 だから、みんなもそのつもりでプレーしてくれると、きっと新しい発見があると思う。 この世界では、勇気と臆病は同じ意味でしかない。 憎しみと愛も同じだ。喜びと悲しみも、涙と笑いも、友情と裏切りも、すべては同じ価値をもっている。 それぞれが善か悪かは、そこを旅する者の心が決めるのだ。けっして神様が決めるわけでもなく、暗黙のルールとして存在しているわけでもない。 なにしろ光のハーンとその神族が神ならば、闇のズールとその神族もまた、れっきとした神々だからだ。 それのどちらに加担するかは、それぞれの人間に任せられているのである。 では最後に、ミネルバトンの光の神々に捧げる光の誓願を、ここに記すことにしよう。 これを唱えるものは、光の戦士を目指す者だけだ。もちろんズールに組する者は、唱えなくていい。 そっちの誓願は、残念ながらぼくは知らないから、それなりの人物に聞いてほしい。 この現代においても、ズールに属する人間は数多くいる。その人たちに闇の誓願を教わればいいのだ。 ほら学校でも家の近所でも、テレビや新聞を見ていても、そんな人物のひとりやふたり、毎日のように見つけることができるだろう? 現代にもズールの波動は満ちているんだ。では諸君、ミネルバトン世界での健闘を祈る! 神は心と共に。心は光と共に。 光は我と共に有り我と共に歩む。 我は光の戦士と成らん。 羅門祐人 出典 アスキー シルヴァ・サーガ2 公式ガイドブック 2P ~ 5P 発行 1993年7月25日 T1063596750758
羅門祐人先生に聞く!
当初からファミコン版「シルヴァ・サーガ I」と連動したシナリオとして発売される予定だったんですか? シナリオ的にはファミコン版のほうが早かったんです。 まず「シルヴァ・サーガ I」のシナリオを作って、実際に製作に入ろうというときに、スーパーファミコン版の話が来まして……。 ファミコン版の続編という形も考えていたんですが、当初は両方とも同時期に発売する予定だったんですよ。 で、発売時期が同じなのであれば、続編として出すよりも今で言うザッピングみたいな、 同じ時代のひとつの舞台でふたつの話を進める、そういう形のゲームを作ってみたほうがおもしろいんじゃないかと思いまして。 だから、まず「シルヴァ・サーガ I」のシナリオが先にあって、そこから「シルヴァ・サーガ I」に登場したキャラクターを絡めながら、 どういう風に話を進めたらいいか、ということを考えつつ「シルヴァ・サーガ II」の製作に移行したわけです。 まあ、結果的に1年ぐらい遅れてしまいましたけど(笑)。 「シルヴァ・サーガ I」の内容や仕上がりについてはどうお考えですか? 「シルヴァ・サーガ I」は基本的に、前々作「ミネルバトンサーガ」のシステムをそのまま持ってきてます。 バトルモードだけは「ミネルバトンサーガ」のリアルタイムバトルのおもしろさを損なわないように注意しつつ、対面型のコマンド選択式バトルに代えました。 「シルヴァ・サーガ II」でも出てくる神像も、ファミコン版から登場します。 あと、「シルヴァ・サーガ」の物語の特徴として、パーティーの参加キャラがコロコロ入れ替わるっていうことがありますから、 プレイヤーの思い入れが醒めないように、いかにおもしろくしていくか、そこらあたりに気をつけてやってみて、なんとかうまくいったと思います。 ただやっぱり、どうしてもグラフィックとかはマシンの機能をフルに活かしたいな、って思うとROMの容量を食っちゃうので、 ストーリーの内容が希薄になることを防ぐためにいろいろ調整するのが大変だったですね。 それでは、スーパーファミコン版として登場した「シルヴァ・サーガ II」についてお聞きします。 まず制作上のことなんですが、シナリオ部分以外にはどの程度制作に関わられたんですか? 今回は、プログラミング以外のほとんどに関わっています。ゲームシステムの細部まで自分で設定しました。 たとえば、バトルシステムのダメージ算出計算式なんかも作りましたし、モンスターのグラフィックの下絵まで描いたりしたんですよ。 さすがにけっこうキツい作業だったですけど(笑)。 「シルヴァ・サーガ II」のセールスポイントは、どんなところでしょうか。前作から改良した点はありますか? システム的には「シルヴァ・サーガ I」と変わってません。 ただ、傭兵や神像が出てくるバトルモードは他のゲームではないものだし、パーティーを切り替えて戦うおもしろさというのがあると思います。 またバトルモードでは、アニメーションを入れることによって、戦闘にまどろっこしさを感じさせずに楽しめるように気を配りました。 もちろん、アニメーションを入れたせいでテンポが悪くなったりしないように仕上げたつもりなので、 むしろメッセージ表示は「なし」に設定しておいて、アニメーションだけを眺めながら戦闘を楽しんでほしいですね。 まあ、全体的に細かいところまで調整をいっぱいやってますんで、完成度は高くなったと思いますよ。 「シルヴァ・サーガ II」では、記憶を失った主人公パルスがベタの村へ漂着するところから始まりますよね。 パルスは記憶を失う前はどんな生活をしていたんですか? パルスはドルンの村の漁師の息子だったんです。 ドルンの村というのは、現在は小さな島のなかにあるひなびた漁村なんですが、大昔はダークランドという大陸の片田舎の村だったんです。 ところが、オープニングデモで火の玉が落ちてくるシーンがありますよね。 そのおかげで、回りの陸地のほとんどは海に沈んでしまったんですが、ドルンの村は山に囲まれていたおかげで、辛うじて沈没を免れて……。 だから、漁村としての歴史はそんなに古くないんです。もちろん、パルスのお父さんの代のころには、すっかり漁村として定着していましたけどね。 メリアがニーナおばさんの家に住むようになったきっかけは? メリアという女の子はもともと、光の戦士を支援するというひとつの役割を与えられている少女なんです。 じつはオープニングデモに入れる予定で結局カットされちゃったんですが、パルスの乗った船が沈没したときに、 ミネルバトンの神々が、漂流するパルスを光でベタの村まで誘導していく、というシーンがあったんですよ。 つまりパルスは、いわばベタの村に漂着すべくして漂着してきたわけで、 当然そこでメリアが待っていたということも予定されていた出来事だったんです。 ミネルバトンの世界では、偶然の出来事も神の意志によって制御されている、という概念があるんですが、 ズールたちも光の神々も両方神様なんですよね。 そこで、そのふたつの神々のせめぎ合いによって、どっちの思惑にも傾くから偶然というものが生まれる、という考え方なんです。 傭兵や神像というのは、ストーリー上ではどういう役割になってるんですか? 基本的に光の戦士というのは光の神々の代理人みたいなもので、本当は戦いの専門家じゃないんですよ。 ズールが破壊の神なのに対して、光の神々は"和"を大切にする神で、なるべくなら争いごとは避けたい。 で、光の神々の代理人である光の戦士も、本来はそういう立場なんですが、 ズールがこの世界を滅ぼしてしまうことを防がなければならない役割を背負わされているから、戦わざるを得ない、と。 悲劇のヒーローみたいなもんですね(笑)。 そこで光の戦士は自分でも戦うんだけど、回りのいろんな人々の力を結集して、一緒にズールを倒すことになるんです。 そのなかで、魔導師や神官や巫女、戦士は、それぞれの能力のスペシャリストとして光の戦士のサポートをするわけなんですが、 それに比べて傭兵はいわゆる兵士なわけで、プロフェッショナルではあるけれどもスペシャリストではない。 だから、傭兵はメインになって突破口を開く役割になっていて、 傭兵が太刀打ちできないような強い敵が現れたら、主人公たちのパーティーが出てくることになるんです。 傭兵は主人公とは戦う目的が違っていて、傷も自分たちで治しますし、独立した兵隊集団なんです。 ただ「シルヴァ・サーガ II」では、傭兵だけで敵のボスキャラを倒すこともできます。やりたい人はやってください(笑)。 神像について話しますと、光の神々はなんらかの代理を立ててズールと戦う、という世界観がありますから、 そうなると自分自身で戦わないのであれば神像という代理のものがあるだろう、と考えて設定しました。 神像というのは光の戦士でなければ使うことができません。 まあ、神様の力をそのまま導入したひとつの像ですから、しょせんはモノなんですよね。エネルギーが放電されるとただの像になってしまう。 エネルギーを回復するためには、しばらく時間が必要になるわけです。 まあ具体的には人間のヒットポイントと同じように、休めば回復してしまうんですけどね。 それから、神像は魔法しか使えません。 ただ、ミネルバトンの神々には系譜があって、その組み合わせによって、よりパワーの大きい神へとつながっていくんですが、 それが神像にも当てはまるんです。神像が合体することによって、それぞれが持っている特徴を併せ持った、より強い神像になるんです。 ただ気をつけてほしいのは、ふたつの異なった性格のパワーが組み合わせられても、 そのふたつの能力のどちらを使うかは神像が勝手に選ぶので、プレイヤーには選ぶことができません。 だから戦闘中でも、ここで攻撃魔法をかけてくれ!というときに毒を食らわせようとしたりして、イライラすることもあるかもしれませんね(笑)。 傭兵や神像を使いこなすコツを教えていただけますか? まず初めて出会う敵と対戦するときには、傭兵を使って様子を見てみるといいですね。 それで、魔法を使わない敵ならば傭兵でガンガン攻撃すればいいし、逆に魔法を唱えてくる敵の場合は神像を使うと効果的です。 また、最初に神像を使って敵を眠らせておいて、あとは傭兵や主人公たちでじっくり倒す、という手も有効ですね。 逆に神像や傭兵を育てたいときは、最初に主人公パーティーで敵を痛めつけといて、神像たちにとどめを刺させるといいでしょう。 隠れ里アナンの入り江にはクラーケンがいますよね。 あれは前作でカイラルたちが倒したはずなのに今回も登場してくるんですが、あそこはクラーケンの棲息地なんでしょうか。 あそこは巣なんです。クラーケンは、光の神々がアナンを守るために置いた生き物でして、ズールの化物じゃないんですよ。 もともとアナンは光の戦士のための隠れ里で、 クラーケンを倒せた者こそ、ズールの親玉を倒せるだけの力量を持った光の戦士として、アナンの村に入る権利が得られるわけです。 もっともクラーケンは死んでしまうわけじゃなくて、光の戦士の力量が優れていると判断したら、巣に戻っていくんですけどね。 また、アナンの村に住んでいる人たちはただのおじいちゃん、おばあちゃんに見えますけれども、じつは光の神々に近い存在なんです。 だから、村に入ってくることができた光の戦士を、手厚くもてなしてくれるんですよ。 「シルヴァ・サーガ II」の世界を通じて、プレイヤーに訴えたいことは? まあ、ひたすらクリアーを目指す早解きプレーというのもひとつの楽しみですから、そういう遊びかたもいいんじゃないでしょうか。 ただ、やはりシナリオを堪能してもらいたいですね。細かいディテールまで本当にこだわって作ったので、 じっくり遊んでみれば、ひとつひとつのエピソードがより深く味わえるし、ミネルバトンの世界を実感できるはずです。 また、神像モード、傭兵モードを取り入れたので、人によってそれぞれ違った楽しみかたができるんじゃないでしょうか。 神像、傭兵をまったく使わずに主人公たちだけでプレーすることもできるし、逆に傭兵でボスキャラを倒してもいいですしね。 最後に、先生はゲームデザインだけでなく、小説の執筆などいろんな仕事をなさってますが、 あえて肩書を名乗るとすればどうなるんでしょうか? 肩書は……? なんでしょう? 自分でもよくわからなかったりするんですけどね。 昔はソフトハウスの社長をやっていたんですが、忙しすぎて、やりたいことができないもんだから辞めたんですよ。 そうですねえ、小説も書くし、マンガの原作も作るし、ゲームデザインもするし……。 ゲーム作りにしても、シナリオだけじゃなく、 システム作りやグラフィックのラフデザインもやってますから、ゲームデザイナーという肩書は合わないかもしれませんね。 ……そういえば、堀井雄二さんに合ったとき、名刺に"ゲームクリエイター"って肩書があったのが印象深いんですよね。 私もそう名乗ろうかな。 出典 アスキー シルヴァ・サーガ2 公式ガイドブック 108P ~ 111P 発行 1993年7月25日 T1063596750758
シルヴァサーガ秘話

「シルヴァ・サーガ」の舞台であるミネルバトンの世界、これが産声を上げたのは、思いおこせば10年前のとある日のことだった。 そのころぼくは、FM-7というパソコンで、T&Eソフトの「惑星メフィウス」というアドベンチャーゲームを遊んでいた。 そして「これなら自分にも作れるかもしれない」と、アホといおうか大胆といおうか、 ともかく軽い気持ちで、せこせことアドベンチャーゲームを作り始めたわけだ。 そして3ヶ月後、そのゲームはなんとか完成し、「暗黒城」という名で株式会社エニックスから市販された。 いまとなっては、なんともチャチな作りかたで見るのも恥ずかしいゲームだけど、 ともかくこれがミネルバトン世界のデビューの瞬間であり、そして延々と今日まで続いている「シルヴァ・サーガ」シリーズの、 本当にささやかな始まりだったのだ。いやー、なつかしいなー。

そして「シルヴァ・サーガ」シリーズの第2弾が発売されたのは、それから4年後、タイトルもそのものズバリ「ミネルバトンサーガ」。 これはファミコンのRPGで、株式会社タイトーから発売された。 本当はその前に「暗黒城2」の企画もあったのだけど、そのころにはアドベンチャーゲームはもう下火になっていて、 「暗黒城2」もその余波をモロに受け、とうとう幻の作品になってしまったのだ。 こっちはてっきり出すつもり(グラフィックまで描いた)だったから、ボツになったのはものすごく悲しかった(涙)。

そして去年になってから、株式会社セタで発売したファミコン版「シルヴァ・サーガ」、 今度のスーパーファミコン版「シルヴァ・サーガ2」、さらにはアスキーの雑誌「ログアウト」で連載した小説や、コミック版の新連載など、 まるで「暗黒城2」ボツ事件のウップンを晴らすように、ミネルバトン世界はとめどもなく広まりを見せつつある。 また、かつてのミネルバトンサーガの物語も、もう一度リメイク&コミック化したうえで、 「ゲームコミックコレクション」という本に連載されることになった。ここまできたら止まりませんがな(笑)。

でも……これらすべての物語が、じつは「暗黒城」を作ったときに、すでにぼくの頭の中に存在していたと言ったら、みんなは信じてくれるだろうか? 実のところ、「暗黒城」の物語こそが「シルヴァ・サーガ」全体の最終章であり、 すべての物語は(今後発売される「シルヴァ・サーガ」シリーズすべての作品も含めて)そこにむかってひたすら突き進んでいるといったら…… でも、これは本当のことなんだ。天地神明に誓って、絶対にウソじゃない。

最初の作品が完結編だというのは、じつは作っているぼくも驚いたくらいだ。 でも世界のすべてが輪廻する存在であれば、これもまたふさわしい終わりであり、また始まりなのかもしれない。 それがわかっていたからこそ、「暗黒城」はプロローグでありエンディングでもある物語として、この世に最初に登場しなければならなかったのだ。

ところで「シルヴァ・サーガ」の物語というのは、 光の神々と闇の神々が、たがいにミネルバトン世界を奪いあうという、非常にシンプルな寓話らしきものとして存在している。 難しい理屈も政治も経済も、ファンタジーに不可欠な完璧な世界設定もない。 でもそれは、ぼくが手を抜いたからではなく、「もともとそうなっていた」としかいいようがないんだ。 だからこれからも、こまごまとした生活習慣とかは出てきても、大きな世界の構造とか、 「世界はかくあるべきだ」といった必然性などは出てこないと思う。 すべてが神任せのまま、ただひたすら"ビッグバン"という名の終末へと流れていくにすぎない。

でも、その終末ービッグバンには大きな意味がある。 ビッグバン起こす原因となるのは、世界を造る鏡「ラ・バルの鏡」が破壊されることなのだけど、 その鏡をめぐって、ミネルバトンでは神々同士の最後の決戦が行なわれるのだ。 そしてその勝者が、のちに起こるビッグバン後の世界の支配者となり、 その世界すべての創造者となる(ビックバン後の世界とは、いまぼくらの住んでいる、この宇宙のことだ)。 そしてこの宇宙が終わるとき、ふたたび忽然とミネルバトン世界が現れる。

つまり光と闇の神々は、永遠のサイクルを描きながら戦っているのだ。 どうだろう、ここまで書くと、じつは壮大な話だとは思わないか? そして壮大な話であればあるほど、世界は必然的にシンプルになっていく。 なぜなら、ほとんどの世界設定というのは、人間の生活にのみ必要なものだからだ。 時間という概念ですら、人間以外には必要ない。 陽が昇り、そして沈む。季節がめぐる。それだけだ。つまり、そういうわけ。

このミネルバトン世界は、異次元もふくむ、全宇宙のすべてを貫いている存在だ。 現在も過去も未来も、すべては世界の輪廻に含まれる。 当然ながら、ぼくの作った他の作品である「ガデュリン」シリーズもまた「シルヴァ・サーガ」のアウト・ストーリーというわけ。 あそこにもズールが出てきたのは、じつはこんな理由があったのだ。

もちろん地球に出現するあらゆる神々もまた、ミネルバトン世界におおもとがあるわけだし、 いわゆる悪魔や魔族や魑魅魍魎なども、かつてのズールの生き残りにすぎない。 人の魂が輪廻転生するのも、もともと世界全体が輪廻しているから、あたりまえと言えばあたりまえのことなのだ。 すべてを包みこんでいるからこそ、なんでもアリの世界、それがミネルバトンというわけね。

ところでミネルバトンの世界では、闇の帝王ズールと光の創造神ハーンのもと、無数の神々や魔獣とともに、人間もまた生きている。 ズールとハーンは、この世界の法則とか秩序とかいった存在であり、いわば「エネルギーそのもの」といった感じのものだ。 だからこの両者は、完璧になーんにもしない。

引力とかエネルギー保存則とか、いわゆる「物理法則」というものは、この世に確実に存在するけれど、けっして人間に語りかけることはしない。 こんなことは誰だって知っている、あたりまえのことだ。 それと同じように、ズールとハーンも、いないと大変だけど、いるからといって人間にアクセスしてくるようなことはない。

しかし、その両者のエネルギーによって生みだされた「ズールの五大王子」とか「光の諸神」というのは、人間にガンガン近づいてくる。 しかも彼らは、ぼくらと同じように考える心を持っている。 というより、光の神々や闇の神々につながるエネルギーの、いちばん端っこにいるのが人間なんだから、 この世界では、神々と人間とは別物ではないといったほうが正しいだろう。

それどころか、光の戦士となった人間は、神々をも支配できる力を身につけてしまう。 光の戦士だけが闇の王子を倒せるのも、その力があるせいだ。それらはすべて、エネルギーの強弱によって決められる。 つまり人間は、心の持ちようによっては、諸神やズールの王子よりも、大きくて広い「エネルギーを入れる器」を持つこともできるということだね。

だから「シルヴァ・サーガ」の物語は、ただたんにバケモノを倒すだけのファンタジーではない。 たしかに、ズールの波動によって生まれたドラゴンや魔神はいる。 そして光の戦士は、ことごとくそれらと戦う運命にある。でも、けっしてそれらを倒すことが目的というわけではないんだ。

この物語は、人間というちっぽけな存在が、 心の持ちようによっては、いつしか神をも超える存在になることができるという、魂の成長の物語だ。 人間の苦悩と愛、出会いと別れを描いた、真の「成長物語」にほかならない。 これこそが、この「シルヴァ・サーガ」のテーマなんだ。

だから、みんなもそのつもりでプレーしてくれると、きっと新しい発見があると思う。 この世界では、勇気と臆病は同じ意味でしかない。 憎しみと愛も同じだ。喜びと悲しみも、涙と笑いも、友情と裏切りも、すべては同じ価値をもっている。 それぞれが善か悪かは、そこを旅する者の心が決めるのだ。けっして神様が決めるわけでもなく、暗黙のルールとして存在しているわけでもない。

なにしろ光のハーンとその神族が神ならば、闇のズールとその神族もまた、れっきとした神々だからだ。 それのどちらに加担するかは、それぞれの人間に任せられているのである。

では最後に、ミネルバトンの光の神々に捧げる光の誓願を、ここに記すことにしよう。 これを唱えるものは、光の戦士を目指す者だけだ。もちろんズールに組する者は、唱えなくていい。 そっちの誓願は、残念ながらぼくは知らないから、それなりの人物に聞いてほしい。 この現代においても、ズールに属する人間は数多くいる。その人たちに闇の誓願を教わればいいのだ。 ほら学校でも家の近所でも、テレビや新聞を見ていても、そんな人物のひとりやふたり、毎日のように見つけることができるだろう? 現代にもズールの波動は満ちているんだ。では諸君、ミネルバトン世界での健闘を祈る!

神は心と共に。心は光と共に。 光は我と共に有り我と共に歩む。 我は光の戦士と成らん。

羅門祐人
出典 アスキー シルヴァ・サーガ2 公式ガイドブック 2P ~ 5P 発行 1993年7月25日 T1063596750758

羅門祐人先生に聞く!

当初からファミコン版「シルヴァ・サーガ I」と連動したシナリオとして発売される予定だったんですか?

シナリオ的にはファミコン版のほうが早かったんです。 まず「シルヴァ・サーガ I」のシナリオを作って、実際に製作に入ろうというときに、スーパーファミコン版の話が来まして……。 ファミコン版の続編という形も考えていたんですが、当初は両方とも同時期に発売する予定だったんですよ。 で、発売時期が同じなのであれば、続編として出すよりも今で言うザッピングみたいな、 同じ時代のひとつの舞台でふたつの話を進める、そういう形のゲームを作ってみたほうがおもしろいんじゃないかと思いまして。 だから、まず「シルヴァ・サーガ I」のシナリオが先にあって、そこから「シルヴァ・サーガ I」に登場したキャラクターを絡めながら、 どういう風に話を進めたらいいか、ということを考えつつ「シルヴァ・サーガ II」の製作に移行したわけです。 まあ、結果的に1年ぐらい遅れてしまいましたけど(笑)。

「シルヴァ・サーガ I」の内容や仕上がりについてはどうお考えですか?

「シルヴァ・サーガ I」は基本的に、前々作「ミネルバトンサーガ」のシステムをそのまま持ってきてます。 バトルモードだけは「ミネルバトンサーガ」のリアルタイムバトルのおもしろさを損なわないように注意しつつ、対面型のコマンド選択式バトルに代えました。 「シルヴァ・サーガ II」でも出てくる神像も、ファミコン版から登場します。 あと、「シルヴァ・サーガ」の物語の特徴として、パーティーの参加キャラがコロコロ入れ替わるっていうことがありますから、 プレイヤーの思い入れが醒めないように、いかにおもしろくしていくか、そこらあたりに気をつけてやってみて、なんとかうまくいったと思います。 ただやっぱり、どうしてもグラフィックとかはマシンの機能をフルに活かしたいな、って思うとROMの容量を食っちゃうので、 ストーリーの内容が希薄になることを防ぐためにいろいろ調整するのが大変だったですね。

それでは、スーパーファミコン版として登場した「シルヴァ・サーガ II」についてお聞きします。 まず制作上のことなんですが、シナリオ部分以外にはどの程度制作に関わられたんですか?

今回は、プログラミング以外のほとんどに関わっています。ゲームシステムの細部まで自分で設定しました。 たとえば、バトルシステムのダメージ算出計算式なんかも作りましたし、モンスターのグラフィックの下絵まで描いたりしたんですよ。 さすがにけっこうキツい作業だったですけど(笑)。

「シルヴァ・サーガ II」のセールスポイントは、どんなところでしょうか。前作から改良した点はありますか?

システム的には「シルヴァ・サーガ I」と変わってません。 ただ、傭兵や神像が出てくるバトルモードは他のゲームではないものだし、パーティーを切り替えて戦うおもしろさというのがあると思います。 またバトルモードでは、アニメーションを入れることによって、戦闘にまどろっこしさを感じさせずに楽しめるように気を配りました。 もちろん、アニメーションを入れたせいでテンポが悪くなったりしないように仕上げたつもりなので、 むしろメッセージ表示は「なし」に設定しておいて、アニメーションだけを眺めながら戦闘を楽しんでほしいですね。 まあ、全体的に細かいところまで調整をいっぱいやってますんで、完成度は高くなったと思いますよ。

「シルヴァ・サーガ II」では、記憶を失った主人公パルスがベタの村へ漂着するところから始まりますよね。 パルスは記憶を失う前はどんな生活をしていたんですか?

パルスはドルンの村の漁師の息子だったんです。 ドルンの村というのは、現在は小さな島のなかにあるひなびた漁村なんですが、大昔はダークランドという大陸の片田舎の村だったんです。 ところが、オープニングデモで火の玉が落ちてくるシーンがありますよね。 そのおかげで、回りの陸地のほとんどは海に沈んでしまったんですが、ドルンの村は山に囲まれていたおかげで、辛うじて沈没を免れて……。 だから、漁村としての歴史はそんなに古くないんです。もちろん、パルスのお父さんの代のころには、すっかり漁村として定着していましたけどね。

メリアがニーナおばさんの家に住むようになったきっかけは?

メリアという女の子はもともと、光の戦士を支援するというひとつの役割を与えられている少女なんです。 じつはオープニングデモに入れる予定で結局カットされちゃったんですが、パルスの乗った船が沈没したときに、 ミネルバトンの神々が、漂流するパルスを光でベタの村まで誘導していく、というシーンがあったんですよ。 つまりパルスは、いわばベタの村に漂着すべくして漂着してきたわけで、 当然そこでメリアが待っていたということも予定されていた出来事だったんです。 ミネルバトンの世界では、偶然の出来事も神の意志によって制御されている、という概念があるんですが、 ズールたちも光の神々も両方神様なんですよね。 そこで、そのふたつの神々のせめぎ合いによって、どっちの思惑にも傾くから偶然というものが生まれる、という考え方なんです。

傭兵や神像というのは、ストーリー上ではどういう役割になってるんですか?

基本的に光の戦士というのは光の神々の代理人みたいなもので、本当は戦いの専門家じゃないんですよ。 ズールが破壊の神なのに対して、光の神々は"和"を大切にする神で、なるべくなら争いごとは避けたい。 で、光の神々の代理人である光の戦士も、本来はそういう立場なんですが、 ズールがこの世界を滅ぼしてしまうことを防がなければならない役割を背負わされているから、戦わざるを得ない、と。 悲劇のヒーローみたいなもんですね(笑)。

そこで光の戦士は自分でも戦うんだけど、回りのいろんな人々の力を結集して、一緒にズールを倒すことになるんです。 そのなかで、魔導師や神官や巫女、戦士は、それぞれの能力のスペシャリストとして光の戦士のサポートをするわけなんですが、 それに比べて傭兵はいわゆる兵士なわけで、プロフェッショナルではあるけれどもスペシャリストではない。 だから、傭兵はメインになって突破口を開く役割になっていて、 傭兵が太刀打ちできないような強い敵が現れたら、主人公たちのパーティーが出てくることになるんです。 傭兵は主人公とは戦う目的が違っていて、傷も自分たちで治しますし、独立した兵隊集団なんです。 ただ「シルヴァ・サーガ II」では、傭兵だけで敵のボスキャラを倒すこともできます。やりたい人はやってください(笑)。

神像について話しますと、光の神々はなんらかの代理を立ててズールと戦う、という世界観がありますから、 そうなると自分自身で戦わないのであれば神像という代理のものがあるだろう、と考えて設定しました。 神像というのは光の戦士でなければ使うことができません。 まあ、神様の力をそのまま導入したひとつの像ですから、しょせんはモノなんですよね。エネルギーが放電されるとただの像になってしまう。 エネルギーを回復するためには、しばらく時間が必要になるわけです。 まあ具体的には人間のヒットポイントと同じように、休めば回復してしまうんですけどね。 それから、神像は魔法しか使えません。 ただ、ミネルバトンの神々には系譜があって、その組み合わせによって、よりパワーの大きい神へとつながっていくんですが、 それが神像にも当てはまるんです。神像が合体することによって、それぞれが持っている特徴を併せ持った、より強い神像になるんです。 ただ気をつけてほしいのは、ふたつの異なった性格のパワーが組み合わせられても、 そのふたつの能力のどちらを使うかは神像が勝手に選ぶので、プレイヤーには選ぶことができません。 だから戦闘中でも、ここで攻撃魔法をかけてくれ!というときに毒を食らわせようとしたりして、イライラすることもあるかもしれませんね(笑)。

傭兵や神像を使いこなすコツを教えていただけますか?

まず初めて出会う敵と対戦するときには、傭兵を使って様子を見てみるといいですね。 それで、魔法を使わない敵ならば傭兵でガンガン攻撃すればいいし、逆に魔法を唱えてくる敵の場合は神像を使うと効果的です。 また、最初に神像を使って敵を眠らせておいて、あとは傭兵や主人公たちでじっくり倒す、という手も有効ですね。 逆に神像や傭兵を育てたいときは、最初に主人公パーティーで敵を痛めつけといて、神像たちにとどめを刺させるといいでしょう。

隠れ里アナンの入り江にはクラーケンがいますよね。 あれは前作でカイラルたちが倒したはずなのに今回も登場してくるんですが、あそこはクラーケンの棲息地なんでしょうか。

あそこは巣なんです。クラーケンは、光の神々がアナンを守るために置いた生き物でして、ズールの化物じゃないんですよ。 もともとアナンは光の戦士のための隠れ里で、 クラーケンを倒せた者こそ、ズールの親玉を倒せるだけの力量を持った光の戦士として、アナンの村に入る権利が得られるわけです。 もっともクラーケンは死んでしまうわけじゃなくて、光の戦士の力量が優れていると判断したら、巣に戻っていくんですけどね。 また、アナンの村に住んでいる人たちはただのおじいちゃん、おばあちゃんに見えますけれども、じつは光の神々に近い存在なんです。 だから、村に入ってくることができた光の戦士を、手厚くもてなしてくれるんですよ。

「シルヴァ・サーガ II」の世界を通じて、プレイヤーに訴えたいことは?

まあ、ひたすらクリアーを目指す早解きプレーというのもひとつの楽しみですから、そういう遊びかたもいいんじゃないでしょうか。 ただ、やはりシナリオを堪能してもらいたいですね。細かいディテールまで本当にこだわって作ったので、 じっくり遊んでみれば、ひとつひとつのエピソードがより深く味わえるし、ミネルバトンの世界を実感できるはずです。 また、神像モード、傭兵モードを取り入れたので、人によってそれぞれ違った楽しみかたができるんじゃないでしょうか。 神像、傭兵をまったく使わずに主人公たちだけでプレーすることもできるし、逆に傭兵でボスキャラを倒してもいいですしね。

最後に、先生はゲームデザインだけでなく、小説の執筆などいろんな仕事をなさってますが、 あえて肩書を名乗るとすればどうなるんでしょうか?

肩書は……? なんでしょう? 自分でもよくわからなかったりするんですけどね。 昔はソフトハウスの社長をやっていたんですが、忙しすぎて、やりたいことができないもんだから辞めたんですよ。 そうですねえ、小説も書くし、マンガの原作も作るし、ゲームデザインもするし……。 ゲーム作りにしても、シナリオだけじゃなく、 システム作りやグラフィックのラフデザインもやってますから、ゲームデザイナーという肩書は合わないかもしれませんね。 ……そういえば、堀井雄二さんに合ったとき、名刺に"ゲームクリエイター"って肩書があったのが印象深いんですよね。 私もそう名乗ろうかな。

出典 アスキー シルヴァ・サーガ2 公式ガイドブック 108P ~ 111P 発行 1993年7月25日 T1063596750758